元陸上長距離アスリートへの特別インタビュー前編

現在、学校の先生として活躍していらっしゃる元陸上長距離アスリートのAさん(プライバシー保護のため匿名とさせていただきます)にロングインタビューをさせていただきました。約10年間の競技生活でのご経験と、経験を基にご尽力されている現在のお話、そして女性アスリートの健康やサポートに関してのお考えをお聞きしました。

前編は、Aさんの中学・高校、大学生活を経て現在に至るまでのお話になります。後編はこちらから。

Q. どういった経緯で競技を始めて今に至るかを教えてください。

  競技(陸上長距離)を始めたのは中学1年生からで、吹奏楽と迷って陸上部を選びました。中学2年生までは県大会レベルでしたが、中学3年生で全国大会に行けるようになりました。元々勉強も頑張りたかったため、高校は受験しようとしたのですが、中学の顧問の先生から「オファーのあった強豪校へ行くようにした方がいい」と説得され、その高校へ行くことになりました。3年間はその高校で踏ん張り、陸上はこの先続けるか迷っていましたが、その時も強豪チームのある大学へ行くルートができあがっていたため、大学からのオファーを断れなくなりました。大学では1年生の時は調子よく走れていましたが、2年生になる前に怪我をしてしまい、そこから何度も怪我を繰り返して、3年生で競技を引退しました。現在は教員をしており、陸上部の担当もしています。

Q. 高校時代の経験について詳しく教えてください。

  高校生のときは進学クラスに進んだため勉強も忙しく、朝4時に起きて30分体幹がメインの自主トレーニングを行い、少し勉強をしてから、始発で朝練へ行き、授業を受けて午後練というような生活を毎日していました。身体にストレスが溜まっている状態だったと思いますが、高校生の頃は大きな怪我もなく競技をしていました。多分走る距離が少なかったので、チーム内には怪我をする選手もいたけど、他校の人たちほど怪我はなかったです。

  体重管理はとても厳しく、毎朝、みんなが見ることのできる体重表に体重を記入し、少しでも体重が増えると赤線を引かれました。体重を気にして誤魔化す選手もいましたが、みんなの前で体重計に乗せられたりして、40kgを超えていると体重表を投げつけられたりしました。当時私は生理がきてなくて、母に心配され産婦人科で検査をしてもらいました。体重が36kgくらいだったので、せめて38kgいかないと生理はこないという話を病院の先生から聞きました。体重以外のホルモンレベルや子宮などには問題がなかったため、薬を飲めば生理がくる可能性も高くなるからという理由で薬の服用を病院の先生から勧めてもらい、試そうとしました。しかし、顧問に連絡すると「黙って産婦人科へ行くな」「体重が増えるだろう」と激怒されてしまい、結局薬を服用することもできず、高校3年間生理がくることはありませんでした。また、私は貧血もあり、内科でもらう強い鉄剤を飲んでいましたが、どうしようもない時は鉄剤の点滴も打っていました。ビタミン剤などの注射も打っていましたね。

  体重管理は厳しかったですが、顧問の先生からの食事制限は厳しくなかったため食事はしっかりと食べていました。実家に住んでいたので、お菓子も食べようと思えば隠れて食べることもできましたが、誕生日とクリスマス以外はケーキも食べないくらい徹底した食事管理を自らしていました。唐揚げの皮も外していたし、ご飯もきっちり1gもずれないように測って食べていました。

  高校2年生・3年生の時にオリンピック育成選手に選ばれて、JISSに合宿へ行っていました。パフォーマンス測定や栄養指導などがあり、産婦人科医の方が常駐していたため、月経がきていない話などもしていました。骨密度を測った際も、すでに低かったため「20歳までにカルシウムとビタミンDの薬を飲まないと競技を続けるのが厳しいかも」、という話をされました。「体重を増やした方がいい」という話などもありましたが、結局決めるのは顧問の先生で、顧問の先生が神様のような感じで状況が変わることはありませんでした。

  それでも今思えば高校生の時はまだ良かったのかなと思います。当時生理がきていたら、だいぶ違ったかなとは思いますが。合宿へ行くと他校と一緒になることもありましたが、他の学校の選手は小鳥の餌のような量しか食べさせてもらえなかったり、食べたものを吐けと言われたりすることがあるようでした。自分たちは食事制限が厳しくなくて、体重が軽ければ良いという感じだったので、まだ良かったのかなと思います。

Q. 大学時代の経験について詳しく教えてください。

  大学では、1年生の途中までは調子よく走れていましたが、1年生の冬ごろに足を痛めてしまいました。足の痛みの関係で、冬の重要な大会には補欠で選ばれたため本番は走れませんでした。その後にあったハーフマラソンの大会の時も足に痛みがあり、胃腸炎にもかかってしまったのですが、コーチから出ろと言われて出場して、なんとか完走しました。その大会に出場したメンバーの成績が全体的に良くなかったため、大会の次の日にも練習がありました。足が痛ければ休めば良かったのですが、コーチが『休む』という考え方が好きではなく休めませんでした。せめて流して練習をしようと思いましたが、ちょうどその日にOGの方が練習に来てくださったこともあり、しっかり走らざるを得ませんでした。結局、その練習は走り終えたものの、練習直後から足が一歩も動かなくなってしまい、歩けなくなりました。

  その後、病院で疲労骨折とわかり練習を休むことになってからコーチの態度が一変しました。挨拶をしても顔も合わせてくれないような感じでしたし、「(怪我をしたのは)太っているからだ」「体重をもっと減らせ」と言われ、病院へ行きたくても「折れているのがわかっているのに行くな」と言われていました。怪我をしている選手たちは、コーチから「みんなが練習をしている時間はグラウンドに顔を出すな」と言われており、みんなが練習を終えて帰ってきてから自分たちの練習をしていました。足の痛みが引いてきて、ウォークジョグぐらいから始めようと思っても、骨密度が低いからまた折れてしまうのを繰り返しで、1年生の後半に初めて疲労骨折をしてから大学3年生までに5、6回疲労骨折をしました。

  大学生になって走る量が格段に上がったことから怪我もしやすくなり、自分の骨は7、80歳くらいと病院で言われました。「このまま走り続けると40歳で車椅子になるから競技をやめた方がいい」と言われ、大学で競技を引退するかすごく悩みました。悩んでいたこともあり、怪我をしてからまず摂食障害になって、過食を繰り返していました。元々グラノーラがすごく好きだったので、1時間くらい食べ続けて口の中から血が出たら終わり、という基準を自分の中で決めて食べ続けていました。でも、だんだん、血が出ていてもエスカレートすると食べることを止められなくなりました。昔は食べた後に吐けていましたが吐くことも怖くなり、どんどん太っていきました。体重などの体組成も寮に貼り出されており、太るとわかりやすく色がつけられたりしました。他の選手に見られるだけでなく、寮に出入りする管理会社の方や食事を作ってくれる方、清掃の方にも体組成の表を見られるのがとても嫌でした。

  また、その頃にエナジードリンク中毒みたいになっていて、1日に3本飲む日もありました。飲むと元気がなくても元気になった感じがするんですよね。あと、同じ頃から眠れなくなりました。運動して疲れていても、(睡眠導入)薬を飲んでも眠れなくて、最終的に動画を見て涙を流すという方法に辿り着きました。泣き疲れて眠るのが一番手っ取り早く眠れるので。そのときはいつも2時間くらいしか眠れていなかったので、眠気のピークが来る朝練のときにトイレで眠ったりしていました。そんな状況でも夜一人になると過食が始まり、自分の中でノルマみたいなものがあったため、食べても口から血が出ていなかったり、口から血が出ていてもまだ行けると思い込んでしまうと夜中の2時とか3時まで食べていることもありました。

  そのような状況で、2年生の終わり頃に担当教員だった大学の先生に相談をし、大学のカウンセリングルームを紹介してもらいました。同じ頃に精神科へも行くようになり、鬱と診断されました。当時唯一の救いだったのは、アスレティックトレーナーの方が味方でいてくれたことでした。リハビリや精神科へ行くのにも同伴してくださって心強かったです。その後3年になった時に私は競技を引退しました。

  大学の時、一つよかったことをあげるのであれば、入部するときに月経がきているかどうかを聞かれて、きていませんと話したら、産婦人科に行くようにと言ってくれたことです。私は体重が戻れば生理がくると高校の時から言われていたので、薬を服用して体重が40kgほどに増えたことで生理がきました。競技をしていたときは、飲み薬と貼り薬をどちらもないと生理が止まってしまいましたが、現在は普通にきています。

Q. 現在の状況を教えてください。

  実は、今でも個人的に走っています。10年間心肺を追い込んできたので、普通に生活をしていても頑張っていないような感じがしてしまい、血の味がするまで追い込んでしまったりします。足もまだ痛くなりますが、手軽に出来るのがランニングなのでテーピングを巻いたりして走っています。今は冷静に話せていますが、ゾーンに入ってしまうと『やらなきゃ、やらなきゃ』と思ってしまって。過食も同じで、もう食べたくないし、見たくないのに、それでしか頑張ってないから食べなきゃと思って頑張ってしまうんです。これを全部食べたら私頑張ってるかも、みたいな感じで、頑張っている感じを演出するんですよね。仕事もやっているけど、物理的に体を追い込んでいないのがなんだか許されない感じがしてしまい、頑張って走って、頑張って食べて、太ってというのを、いまだに繰り返しています。「やれ、やれ」と言われ続けてきたから、『やらないと!』という感覚がずっとあります。

  高校の時に合宿で一緒になった同年代の選手たちは、陸上の表舞台で活躍して頑張っています。でも、自分は普通に就職して普通の人になってしまって、父親からも残念ということを言われました。一緒に競技をしていた子たちが活躍している姿を見て自分と比べてしまうと虚しくはなりますね。オリンピックに出るような選手と普通の社会人では雲泥の差というか。家族チャットでも他の選手が活躍している記事が送られてきたりするため、それを見るたびに『自分は残業している場合じゃない』と思ったりします。

⇨後編に続く

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